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小梅(東)
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サビ猫2匹、茶トラ一匹、それぞれ生まれも育ちも違う3ニャンズのお話
今年もカンペイの命日がめぐってきました。 15年前と同じ暑い一日でした。 カンペイが亡くなった時の年齢はまったくわかりませんが、若かったことは確か。 たぶん4〜5歳だったのでしょう。 今もし存命ならば20歳くらいになるはずです。 今日はカンペイをめぐって出会った人々の中で一番心に残る方のお話です。 お名前を仮に横井さんとします。もちろん広島でのお話です。 カンペイに毎日会いに行くうち、近くのマンションに住む横井さんという方と お話するようになりました。当時80代半ばの小柄なおばあちゃんで、 身なりもきちんとしている方でした。 横井さんは若い頃から仲間と一緒にこの土地の野良猫を長期に渡ってお世話していた方でした。 保護して不妊手術を施し、里親を見つけていました。その数数百匹に上ったといいます。 言ってみれば元祖猫ボラ! その仲間は「鈴輪会」という名前で、当時の地元紙にも記事が掲載されていました。 里親探しの手段はなんと新聞広告! 今どきの譲渡会のような厳しい審査はありませんが、「車でこれから取りに行く」などという 人には絶対に渡さない、基本は里親希望者宅にお届けする、だったそうです。 猫のことを何も知らなかった私に色々教えてくれたのも横井さんでした。 やがて親しくなり、お家に遊びに行ったりもするようになりました。 横井さんは戦争でご主人をなくされ、広島の原爆でお母さまをなくされました。 実際に戦争を体験された方のお話は私にとって貴重なものでした。 カンペイが具合が悪くなり、初め動物病院に連れて行った時も、 横井さんが付き添ってくれました。動物病院の大得意様だった横井さんの紹介、 とあって、私も最初から信頼を得て、初めての通院で状態の悪い野良猫を 入院させてもらうことができたのです。 横井さん、本当は、カンペイが元気になったら、里親を見つけるつもりでした。 が、不治の病でそれもかなわず、私が引き取ることになりましたが、その後も 色々と助けてくださいました。 カンペイを見送り、私は公園にいた小梅を保護しました。 横井さんも小梅のことはご存じで「まだちゃん」(まだら)と呼んでいました。 「小梅ですよ」と言っても、まだちゃんと呼んでいました。 当時横井さん宅にはご自分の最後の猫、もし自分に何かあった時は娘に 引き継いでもらうことになっていた「福ちゃん」(♂)がいました。 「エサはヒ○ズがええよ。」と横井さんご推奨のヒ○ズだけを食べていた福ちゃんは 健康そのものでした。 やがて小梅を連れて東京に戻る日が来ました。 横井さんは、「名残惜しいねえ・・・元気でね」と何度も言ってくれました。 横井さんがお元気なうちに必ず会いに来よう、と思っていましたが、数年後に倒れて 入院、私はすぐに会いに行きましたが、お話をすることはできませんでした。 しかし持ち前の強さで回復、退院して小高い丘の上にある老人ホームに入居されました。 数年後に私は再び横井さんを訪ねました。 何か思い出してくれないか・・・そう思って私が描いた猫の絵をもっていきました。 残念ながら、私のことはまったく覚えていなかったようですが、猫の絵を見せると 横井さんの顔はぱっと輝き、くいいるように見つめて「かわいいね〜」と。 それだけで十分でした。ちんまりとかわいいおばあちゃんの横井さんに会ったのは この時が最後になりました。 いつだったか、とても嬉しそうにおでかけする横井さんにばったり会ったことがありました。 「あたしが里子に出した三毛ちゃんに会いに行くんじゃよ。こんなに嬉しいことはない」と にこにこして出かけて行った横井さんが忘れられません。 たくさんの猫の命を救った横井さんは、天国に行って大勢の猫たちの大歓迎を受けたこと でしょう。
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