皆さんは『葬式まんじゅう』をご存じでしょうか?
昔はお葬式に行くと、お引き物としてこの葬式まんじゅうが配られていたそうです。
今でも、私どもの故郷である鹿児島では、葬式の饅頭には「最中(もなか)」を使っています。
しかしながら…場所によるのかも知れませんね。
鹿児島で、この最中(もなか)饅頭をお配りするのには、意味がございます。
『もう、なかごっ(鹿児島弁)』は『もう、無いように(標準語)』と翻訳されるのです。
つまり、葬式で『最中(もなか)』をお配りするのは、『(こんな悲しいことは)もう、ない(続かない)ように』との意味が込められているからなのです。
小次郎君の死は、私に死というものを考えるきっかけをつくってくれました。
考えても考えても、簡単に答えなんて出てこないことでしょう。一生分からないかも知れません。
昨日、注文していた小次郎君の小さな仏壇と小さなお位牌が届けられました。
それを見ていると、本当に切ない気持ちとなりました。
お仏壇やお位牌で私は小次郎君を供養しているつもりなのかも知れない…。
でも二度と、ぬくもりのある小次郎君を抱っこすることは出来ない…。
こういう物は、私の身勝手な自己満足でしかないのではないか…。
もっともっと早く何か処置をしてあげていたならば、何かできたのではないか…。
等々…と、小次郎君が可哀相で可哀相で、申し訳なくやりきれない気持ちとなっていきました。
そんな時、このサイトで知り合わせて頂いた奏ちゃんから、とても温かいプレゼントを頂戴したのです。
それは、写真に写っておりますフォトフレームとお線香でした。
奏ちゃん&ママ様の温かく優しいお気持ちにふれて、本当に嬉しくて有り難くて涙が滴り落ちました。
心より感謝申し上げます。