7月19日のとらの命日が近づいてきました。
亡くなってもう4年になりますが、何年たってもとらが具合が悪くなったこの時期はどうしてもあのときの悲しみを思い出してしまいます。
7月15日、長いこと病気で患っていた私はやっと体調が回復して、一泊で外出していました。出かける日にはとらは年齢のせいもあり少し弱ってはいましたが、いつもどおり私がとらにごはんを食べさせて出かけました。私が出かけるときのとらの寂しそうな顔が今でも目に焼き付いています。
夜は留守番の母にとらのごはんを渡してお願いしてありました。
夜になって心配で家に電話を入れると、とらがごはんを食べないと言われました。心配でしたが、私じゃないからあまり食べないのかな?くらいに考えてました。
次の日の朝も家に電話をすると、朝も食べないし水も飲まないとのこと…。ものすごく心配で気が気ではありませんでした。
夕方、急いで家に帰ると、結局丸一日飲まず食わずだったとらはすっかり元気をなくしていて、立ち上がることができなくなっていました。
それなのに、私が玄関を開けて「ただいま!」と言うと、無理矢理立ち上がり、玄関の私をお出迎えして、もう声を出すこともできなくなっていたのですが、「待ってたよ!」って目が語りかけていました。もう体力なんてなかったはずなのに、私が帰ってきた嬉しさを全身で表現してくれました。(;_;)
もう食べる元気も飲む元気もありませんでしたが、私がモンプチスープをあげると無理して3口なめてくれました。これが私がとらに食べさせてあげた最後の食べ物でした…。(;_;)とらが無理して私に食べる姿を見せてくれたのだと思います。
それでも、とらの声を聞いたのは出かけた日が最後になりました。
その日から亡くなる日まで付きっきりでとらのお世話をしました。
前の日に私がでかけなければ…。私がごはんあげてたら食べてくれたのかな…?そしたらとらは亡くならずに済んだのかな?ずっとずっと後悔していました。
あんなに食べることが大好きなとらだったのに、まさか食べられなくなるなんて…。私はタイミングを見て何度か好きなごはんをあげましたが、食べることはありませんでした。私がアイスクリームを食べたら欲しがりましたが、食べることができませんでした。とらは私の膝に乗り、いつも一緒にアイスクリーム食べたっけね。
とらは最期まで病気がありませんでしたので、亡くなる3日前まで大好きなものを好きなだけ食べていました。歳のせいで食は細くなりましたが、好きなものを制限せずにたっぷり食べさせてあげられたのは、本当に幸せだったなあと思います。
病院の先生にも老衰だからあとはゆっくり過ごしてくださいと言われました。穏やかな穏やかな最期でした。
でも、できることならもっともっとおいしいものを食べさせてあげたかった…。
私はとらのお世話をしていたつもりだったけど、とらは私の妹として生まれて、いつの間にか私の年齢を追い越して、お姉ちゃんになり、母になり、おばあちゃんになり…。いつしか私がとらに支えられていました。病気になった私をとらは心配そうに付きっきりで看病してくれていたのです。本当に優しい子でした(;_;)
この時期は夜中にそんなことばかり考えてしまい、涙が止まらなくなります。この時期だけはどうしてもなかなか眠れない日が続いてしまいます。
でも、とらちゃんを心配させたくないから、命日のお参りが済んだらまた元気になるからね。