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★今日のサスケ語録★
寝起きのオイラ・ぱーと2
布団は片付けさせないんでバウ!
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―この日記は、昨日(12月18日)の続きです―
私が小学3年か4年になった頃
お隣のジョンのご主人が病気で入院することになった。
そして
同じ時期にジョンも病に倒れてしまった。
ジョンの病はフィラリアだった。
そして、気がついたときはもう病はかなり進行している状態で。。。
手遅れだった。
お隣の奥さんは、ご主人の看病に手一杯だったので
ジョンはうちで面倒をみることになった。
毎日外を駆け回っていたジョンは
日に日に元気がなくなっていき
うちの玄関でぐったりと寝たきりの状態で過ごすようになっていった。
屋外犬だったジョンは
うちの玄関で過ごすことにちょっと戸惑っているようで
これまでのやんちゃぶりはすっかりなりを潜め
私のくつをいたずらすることもなく、
毎日とてもいいコに、穏やかに過ごしていた。
私も子供なりに手伝ったけど、
ジョンの看病をしたのはほとんど私の母だった。
母がときおりこっそりと涙ぐむのを見て
ジョンの容態を詳しく教えてもらってない私でも
ジョンは本当に具合が悪いんだ。。。と悟らざるを得なかった。
ジョンはもう、私の足音を聞きつけても
飛び出してお迎えにくる体力がなくなっていった。
それでも私が学校から帰ると、
尻尾だけををパタパタ嬉しそうに振った。
そんなジョンがかわいそうで、
そしてどうしようもなく愛しくて、
私は玄関先でずっと一緒に過ごした。
病気になって以来、ジョンはなんとなく寂しそうで不安そうだった。
私がそばについてるときは
すがるような瞳を向けて、甘えてくるようなそぶりを見せた。
でも、寂しそうな様子はかわらなかった。
そんなある日の夕方
唐突に、お隣のおじちゃんが病院から一時外出をして
ジョンの様子を見にやってきた。
わずか10分くらいの逢瀬だったけど
はっとするくらい、ジョンの表情が輝いて
おじちゃんを見るなり尻尾をぶんぶん振って
嬉しそうに起き上がろうとした。
おじちゃんは
「体だるいんだから起きなくてもいいよ、ジョン。
父さんも頑張って病気治すからジョンも頑張るんだぞ」
と声をかけながら、やさしく、やさしくジョンをなでた。
そのときのジョンの満ち足りた表情は
いまでもくっきり覚えている。
そうして、おじちゃんが帰ってから
わずか30分後に
ジョンは、虹の橋へ旅立っていった。。。
ジョンを看取ったのは私と母だった。
呆然とする私の横で母が
「ジョン、ずっとご主人様に会いたかったんだね。
ご主人様に会うまで、つらいのを頑張って生きてたんだね。
最後に会えてほっとしたね、良かったね。。。」
そう、泣きながら声をかけた。
そうか。。。
ずっと不安そうだったのは
おじちゃんが入院して家に帰ってこなかったからだね。
たとえ大好きな私がずっとそばについていても
ご主人様であるおじちゃんと会えなかったのが
とっても寂しかったんだね。。。
私が知らなかったおじちゃんとジョンの絆を
ジョンの命と引き換えに私は思い知らされたのだった。
私だけじゃ、ジョンにあんな満足した表情は
させられなかったんだ、とちょっぴりショックだった。
でも、私も泣きながら
一番強く思ったことは
ジョンが寂しい思いのまま、逝かなくてよかった、
ということだった。
あのとき外出許可をとらなかったら
おじちゃんは生きているジョンに会うことができずに
きっとずっと後悔したと思うし
私たちも、寂しいまま逝かせてしまった。。と
ずっと心にしこりが残ったことだろう。
ご主人様に会いたいと思う気持ちは
ジョンの本心からの願いだったと思うけど
最後に一目会うまで、頑張って生き抜いたのは
残される私たちへの優しさだったのかもしれない、と
今にして思う。
だから、私は一番じゃなくてもいいよ。
大好きって気持ちに変わりはないから。
そうして、大人になって
サスケと出会って、一緒に暮らし
悲しい別れを経験した今
ジョンとお隣のおじちゃんに感じていた絆を
サスケとプーに感じている。
今度はジョンがちょっぴりやきもちやく番だよね。
でも、私たち、ホントに仲良しだったよね。
サスケもジョンと同じように
最後まで、頑張ったんだよ。
だから、私がそっちにいくまで
サスケの面倒をみてやってね。
君たち、きっとウマがあうと思うから。
そんなことをつらつら考えていた
四十九日の夜なのでした♪
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ジョンの思い出はこんな感じです。
センチメンタルな思い出におつきあいいただいて
ありがとうございました〜^^;