戦争と日系人 その3 最終回。 | まりりんのMY ROOM - ペットストリート

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ノーラン水揚げされコナに!
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戸籍

  • ■猫種: ミックス猫
  • ■誕生日: 1994年03月03日
  • ■生まれた国: アメリカ合衆国(米国)
  • ■性別: 女の子
  • ■ニックネーム: まーちゃん。
  • ■好きなこと: 寝る。食べる。
  • ■体重: 7.0〜8.0kg
  • ■生い立ちについて: いたって健康。病気で病院に行った事はなく 嬉しいかぎりだったのが2007年10月初めて 大病を。。。下痢が続き飼い主はオドオドの毎日でしたが無事、復帰。 今の問題なのは肥満。 何時の頃だか太り始め立つとお腹が地面に つきそう。
  • ■身体の状態: 健常猫 その他の障害

■まりりんの家族

リンク

菜食主義 choose veg.ca
ワンコやニャンコは愛するのに、何で牛や豚さんは食べれるの?普段、何気なく食べているお肉。でも、そのお肉はどういう過程で目の前にあるのか、一度考えて下さい。サイトには動画もあります。地獄絵巻です。身動きの取れない柵に1頭で過ごし、走る事も遊ぶ事もなく、ただ成長し柵から出るときはお肉になる時。どうか、想像して下さい!牛乳も卵も蜂蜜も沢山の命が犠牲になっています。菜食主義の世界になります様に。
もう毛皮はいらない。
おびただしい数の動物の苦しめ得られる毛皮。 それでも貴方は毛皮を着たいですか? もうそろそろ目を覚まして下さい。 貴方が着たって似合いませんよ。見苦しいだけ。
地球生物会議ALIVE
全ての生物が生存可能な環境の保護の為に生命や環境を大切にする社会やライフスタイルの変革を求めて活動する非営利の市民団体です。
アニマルレフュージ関西
アークは非営利、非政治の私設団体であり、動物を愛し、共に生き、積極的に救いの手を差しのべようとしている人達のネットワークをつくることを目的としています。また日本での動物の権利を主張し、動物の問題を国内的にも、国際的にも改善し、真に効力の有る動物保護法の設定のために活動する会員制動物救援組織です。




ロングビーチの老猫

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カリフォルニア ロングビーチで暮らす老猫のスローな生活。

戦争と日系人 その3 最終回。

登録カテゴリ:日常の出来事 投稿日時:2008年08月15日 16時17分



 終戦記念日の今日。
 皆さん、いかがお過ごしでしょうか?

 家のちびたは お得意の「うとうと」で心地よい午後のひと時を
 過ごしました。



   猫「な〜んか今年の夏は涼しくて地球温暖化って騒いでいるのが
    嘘みたいだよ〜〜。あ〜睡魔が来たりテ笛を吹く〜」





  猫「気持ち良いにゃ〜」





   バッタっ。!眠い

 と ちびたは このパターンが多い。

 
  ミアちゃん猫ママさんから晴れ暑中見舞いとプレゼントデコチョコを戴きました〜やった〜! 

 目がハートママさん有難うございました!


 そして8月19日は猫ミアちゃんママさん主催の「夏祭り」ですよ〜

 みなさ〜ん、出し物は決まってますか?

 決まってない ニャンコは早くね!もう時間が にゃいよ!汗


 さて今回で戦争と日系人は最終回です。
 わーい猫とは関係ない内容なのに お付き合い下さって有難うございました。

 今日も 時間のある方は読んでね。

___戦争と日系人 その3__最終回

  終戦63年。
第二次世界大戦を実際に経験された方が
  少なくなってきた昨今、
日系2世の方の貴重な体験談を
  3つ載せます。


   
以下 高橋さんのお話です。
  元第100大隊タカハシさんはマンザーナ収容所から
  1944年に志願しました。

  「兄も志願して442連隊にいましたし、
  家族は全員収容所にいたので
何とかしなければ、
  という思いがありました。

  私達の部隊は訓練を後、2週間残した
段階で
  急遽フラン戦線に行く事になりました。「失われた大隊」の救出です。
  第100大隊の配属になりましたが、
  その時は兵士が足りないのは知りませんでした。

 その頃前線に出ていたのは殆どが補充兵で
 初戦から参戦したハワイ兵は数える程しか
残っていませんでした。

 そこからイタリア戦線に行きましたが
 覚えている事と言えば砲弾の嵐以外にはありません。

 その後、イタリアで終戦になりましたが、
 もう前進しなくてもいいんだ、、、
 という
安堵感が何よりも大きかったです。」



  
元442連隊 アサトさんのお話。

 「最初に100大隊が輝かしい戦功を立て
 我々が後に続いたワケですが、
 やはり何かを証明しなければ
ならないという強かったのだと思います。

 だって我々が国のために戦っている時も
 家族は収容所の
中に居たわけですから。

 日系人の口癖は「仕方がない」。
 それは出来る事はベストを尽くそうという
事です。
 それしか手段がなかったのです。」


  
MISのフジモリさんのお話です。

「私はフィリピンのルソン島で日本人捕虜の尋問でした。

 尋問したのは殆どが農家から徴兵された
日本兵で
 将校の尋問は日本で教育を受け日本語に長けている
 帰米2世(アメリカで生まれたが日本で日本の教育を受け
 その後アメリカに帰って来た方達)が担当しました。

 米兵はマシンガンも撃ち放題だったのに対し、
 日本兵は4,5発だけしか与られておらず
 ロクに食べ物も無かったので、それは可哀想でした。

 捕虜兵にはいつもまづタバコを上げ
 「日本では生きて帰れば恥と言われるがアメリカではヒーローなんだ」
 と説得しました。
(日本人は日本が負けたのを知ると自殺する方が多かった)

 戦後、横浜に行った事もあります。
 子供達は
GIを見つけると「キャンディー」と言って寄ってきましたが 
 大人たちは鬼畜米英と叩き込まれていたので怖がって
 出てきませんでした。」
 


 第二次世界大戦で苦い思い出があるのにもかかわらずベトナム戦争や
 朝鮮戦争が起り、2003年イラク戦争が始まりました。

 戦争は未だ続いています。
 今年の秋には終わると言われてましたが、終わる気配を感じません。

 そしてグルジア紛争?!戦争はいつも何処かで起きてます。
 

 イラク戦争が始まった時の話し。
 日系人のお友達の弟さんが戦争に行くというの聞き
 思わず「止めないの?」と
聞いたところ
 「本人が行くっていうのだから仕方が無い」と返ってきました。

 戦争に行く=人様を殺めるかもし知れない、死ぬかもしれないのに、、、、

 私の親族が万が一、戦争に行く事になったら
 何があっても止めるのでしょうが
 アメリカ人の一部は
戦争に行き国を守る事を
 とても誇りに思っていますし その家族も同じです。

 確かにイザと言う時は軍に守って貰わなければいけないですし、
 日本ももし他国に攻撃を受けた場合アメリカ軍の助けは
 必要不可欠だと思います。

 しかし戦争をしなければ助けはいりません。

 今まで費やした数銃十兆円に昇る資金、死傷者、
 資源の無駄遣い、環境破壊、、、、は何の為に?

 一日も早く戦争が終わることを望むのと同時に、
 もう二度と戦争が起らない事を強く願います。


 黙祷。













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