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まりりん
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カリフォルニア ロングビーチで暮らす老猫のスローな生活。
いつの間にか日暮れが早くなり 涼しかった今年のカリフォルニアの夏も 何となく秋の気配が漂ってきました。 今日は目面しく雲が空を覆っていました。 雲がある時は夕焼けが綺麗です。 お月様。 日本の皆さんも今晩は同じお月様が見れるにゃん! そして昨日の答え。忘れない内に発表します。 ピーちゃんの この顔は、 Aの掃除機を恐がっている。が正解でした。 シロンちゃん、王子、みようちゃん、くろちゃん、大和くん ハッピーちゃん、ももちゃん、みようちゃん の8ママさんは「猫先生」です!おめでとうございます。 ピーちゃんは収納ボックスの上にいるのですが 逃げるか このままボックスの上にいるか怯えながら 思案している写真です。 後、簡易トイレは買った?という鋭いご質問を頂ましたが さあ、どうでしょう〜ふふふ ここからは 以前に載せた「戦争と日系人 その1」の続きです。 ―――戦争と日系人 その2――― 日系一世とは日本から移民してきた人達を指し 二世とは一世の子供達でアメリカ国籍を持ちます。 真珠湾攻撃後、排日感情が沸騰し二世はアメリカ国籍を 持っているのにもかかわらず敵性外国人とされ 軍に入隊する事が出来ませんでした。 そんな二世の青年達ががアメリカに対して忠誠心を示すため アメリカ軍に入隊するのを強く希望し後に認められ そのひとつ100大隊はハワイ出身の二世達で構成された隊で 彼らは自分達の事を「ワンプカプカ」と呼びました。 プカとはハワイ語で穴の開いた丸という意味で 100のゼロをプカ、、、ワンプカプカ。 彼らは練習にとても真面目で銃の組み立ては軍の平均が 16秒に対し5秒とずば抜けて早い者もいました。 実戦では「決して振り返らない兵」と称賛さえたた彼らは イタリアの激戦地モンテカッシーノの戦いで、 上陸時1300名いた兵士が半分以下になってしまい その後も積極的な戦いでワンプカプカは どの司令官もが ほしがる部隊に、、、 そして後に ハワイ出身の二世と本土出身の二世からなる 442部隊と 合流しドイツ軍に包囲され身動きが取れなくなっていた テキサス連隊(アメリカのテキサス州出身の兵士から成る隊)を救出。 この救出は212名のテキサス連隊を助ける為に 日系部隊が出した死傷者は800名以上。。。。。。 自分達日系人がアメリカで生きていく権利を求め、家族の為に戦って 命を落とした442部隊の隊員の最期の言葉は日本語で「お母さん」。 第二次世界大戦で9.486の名誉戦傷勲章、21人が名誉勲章受賞した 442部隊はアメリカ陸軍史上でもっとも多くの勲章を受けた部隊として 歴史に名前を残す事になりました。 日系人はヨーロッパ戦線で兵士として活躍した以外に 「MIS」(陸軍情報局)の日本語学校で日本語の教育を 受けフィリピン、サイパンなどに渡り日本軍の通信傍受、 収集物の翻訳、日本兵との通訳などをしました。 日本が堪能ではなかった彼らは 必死で寝る間も惜しみ 日本語をとにかく勉強したそうです。 つづきは二世の方のインタビューも載せたいと考えています。
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