深い悲しみと、憤り、はたまた嫌悪感・・・
色んな感情に苛まされながらも綴ります・・・
私、個人の考えです。正しくは無いのかも知れません。
その点はご了承して頂き、
関係ないなぁ・・・と思われる方は、どうか読まないでくださいます様、お願い申し上げます。
ペットを飼っている人間はペットを飼ってない人間、嫌いな人間の目線に立つ必要があるのだと思います。
そうなんです。わが子の命をあたかも人間のように主張するのなら、第一に他人に迷惑を掛けてはいけない。
私も含めて、ペットは家族だと考える方は多いと思いますが、嫌いな人には理解できないでしょう。
だからと言って、お互いが相容れない状態が良いわけ有りません。
また仮にペットとして動物等を購入したとします。
自分のお金で購入したから問題ないのではなく、購入した時点で、どう他の人間世界と共存していくのか?
大いに考えなくてはならないのではないでしょうか?
このブログをご覧になってる皆様は違うと思いますが、やはりまだ公園には糞が落ちていたり、電柱のマーキングは放置・・・
おしっこだから問題ないのではなく、周辺の住宅に匂いで迷惑を掛けないためにも、最低でも水で流す位の処置が必要なのでしょう。
強いては、ペットはもう導犬のように外でトイレをさせないようにすべきなんだろうと考えます。
人間がトイレで用を済ませるように。
でなければ、人間が法の下で平等であることを考慮し、ペットを飼っている人、飼っていない人(嫌いな人)を客観的に比べると、法の下ではペットは所詮何時までたっても畜生なんでしょう。
もう導犬等は人間界に必要でも、ペットは必ずしも生活に必要ではないと考えられているから・・・
愛すべき家族が飼い主を信頼するように、飼い主は他の人たちにとって信頼されるように尽力するべきなんです。
要するに、あの事件の発端は飼い主の無自覚が最も大きな起因であると考えます。
確かに、ビルの6階から投げ落とすことは絶対許されるべきことでは有りません。
犯人に同情できませんが、犯人憎しだけでは何の解決にもなりません。
同情すべきは落とされたフレンチであって、飼い主ではないのではないのでしょうか?
飼い主はきっと物凄く後悔してるであろうし、反省してることは容易に察し出来ますが、憎むべきは無自覚な自分、強いては無自覚な飼い主達なんでしょう。
飼い主達は『自分ぐらい・・・』って気持ちで、無責任な行動を行い、結果として自分の家族の生活空間を息苦しいものにしていることを自覚しなくてはいけません。
偉そうに書いている私も、きっと気付いていないうちに迷惑を掛けているのかも知れません。
しかし、万が一同様の事件が起きたとき、突き落とした人間に厳罰を与えたければ、はたまた今後ペットの地位を向上させるためには飼い主の意識改革が最も必要なのだと考えさせられました。
言いたい事を上手く文章に出来ませんが、
長文、駄文に最後までお付き合いいただき、まことにありがとうございます。
ご批判などあるとは思いますが、個人的な考えゆえ、何卒ご了承下さいます様、お願い申し上げます。