テレビの動物番組なんかで、高齢の愛犬、愛猫の介護をしている人が紹介されてたりするのを見て、よくバアバはにゃーちゃんに「あんなになったら介護なんかするのやだから、そうなるまで長生きしないでね」と言っていた。
ジイジなんかは「あんなになったら捨ててしまえ!」と言っていた。
実際は、にゃーちゃんは亡くなるその日まで、時間はかかるが自分のことは自分でしていた。
でも、その姿があまりに痛々しかったから、と最後の1ヶ月くらいはまさしく介護生活していたバアバとジイジ。
でも、何年も毎日毎日バアバの愚痴を聞いていたのはにゃーちゃんだったし、イマイチすっとこどっこいなジイジのお世話を(笑)していたのもにゃーちゃんだったから介護生活してもバチは当たらんでしょう。
それに、オムツでもなく、流動食も服薬もなかったんだから、テレビで見た人達よりずっと楽だったはず。
そしてにゃーちゃんらしく一人になる時間を待って、誰にも看取らせず旅立った。
雨混じりの雪がちらつく夕方、4年前の今日でした。
去年は丸一年受け取り拒否し続けたジイジを嫌々(笑)引き受けてくれたので、きっと今ごろまたあの「鼻でため息」する毎日なんだろうなあ…なんて想像する。
にゃーちゃんと言えば鼻でため息、だった(笑)
なにか面倒なことを頼む度に鼻でため息ついて引き受けてくれた。
家族みんなで、なんてにゃーちゃんに頼りきりだったんだろう(^_^;)
いやホント大黒柱にふさわしかった。
ジイジの四十九日の法事の後、バアバが「49日までは毎日墓参りに来たからこの先はなんかあった時の相談くらいにしか墓へ行かんでも勘弁してもらうわ」と言った。
私が「なんかあった時は畑の風呂釜(にゃーちゃんの墓である(^_^;))の方が頼りになるんじゃないの?」と言ってみたら、「そりゃそうだけど一応ジイジにも相談してあげんと…」
一応、ね。
なんかあって相談しても、やっぱりジイジは逃げてしまうだろう。
かと言って「なんで俺より猫に先に相談するか!?」とわめきだしても厄介だ。
ここはやはりすべてお見通しのにゃーちゃん様に後でお参りするのが正しいだろう。
実家にはまだまだにゃーちゃんの痕跡がたくさんある。
そして、ここぞと言うときにはまだあの白い固い毛がペカッと出てくる。
にゃーちゃんはまだまだ生まれ変わってる余裕はなさそうだ。
ちょっと申し訳なくて、ちょっと嬉しい。