去年はうちも含めて、本当に葬式が多かった。
ご近所(半径10キロ程度を言う)周りはもちろん、近い親戚、遠い親戚もやたらあった。
つい先日もご近所であったし…。
遠い親戚になると私にはよく分からないのだが、ひとつだけ印象に残っているお宅がある。
そのお宅には二度ほどお邪魔した。
初めてうかがった時は81才のおばあさんが一人でお住まいでした。
そこは真冬には積雪が2〜3Mにもなり、場合によっては電話線も電線も切れてしまい、まさしく陸の孤島となる。
書類上細工して15分てことにしてあるが、救急車も最速で45分かからないと来ない山奥だった。
周りに民家はもちろんない。
途中までは「これぞ税金の無駄遣い」と言いたくなる立派過ぎる道路がついている。
私はまだ若年ゆえ、「島根県の公共工事、道路工事」は県内の労働力人口の6割を占める建設業従事者を養うために必要不可欠と信じていた。
だって6割ですよ!工事なくなったら、島根県の現役世代の半分以上が失業すんのよ(・・;)
ま、それは置いといて、前述のお宅に2度目にお邪魔した時、小さいキジトラがいた。
野良だとおっしゃったが、餌をやって可愛がっていらっしゃるようだった。
その頃、都会の息子夫婦が、都会の家で同居しようと声をかけてくれているのだが、猫を理由に行かないのだと言っておられた。
すでに90近いのに、一人ここに住み続けていられる気持ちに、ふと気付いた。
道路だ。
いや、道だった。
ご自身では車の運転などはされない。
だから、家の前まで来てる立派な道路は全く使われない。
でも、この道が息子達のいる都会に続いてる、この先に息子達がいる、つながっているのだと言う安堵感が、この土地で暮らし続ける彼女を支えていた。
そして、老衰で亡くなった。
あのキジトラはどうしただろう。
あのままあの家にいるのかもしれない。
もしかしたらこの冬に、おばあさんの所に行ってしまうかもしれないが、それを不幸とはなぜか言わない気が、私にはした。
そして、田舎の公共工事を養うために高い税金を払い続けて下さる都会の方々、あなた方が養っているのは使われない道路ではなく、こういう僻地の独居老人です、とつけ足しておきたい。
ただ、このくらい田舎なら誰も見てないだろうと犬猫を捨てに来る市街地の人達が、この道を使うのが悲しい。
今年は捨て来る人がいませんように…。
もう拾ってくれるおばあさんは、いませんよ……。