『ママ、どこ?』
「子猫殺し」のエッセーで論議を呼んだ坂東氏が、真意を語りたいと毎日新聞に寄稿したそうです。
何故日経じゃないのか、という疑問はさておき、読み終わって私は直ぐ、辞書を引きました。
『生』という漢字の様々な意味を調べました。
生(しょう、名詞)
… いのち。生命。生きていること。
生(いく、接頭語)
… 名詞に付いて、生き生きとして生命力のある、と
いう意を表す。
[ 出典:大辞泉 ]
どれも生命を持っている、という意味に捉えられます。
このことから正直、理解力不足な私には今回のエッセーから坂東氏の真意が解るようで解りません。
動物の本能を奪う避妊や去勢手術に異論を唱えるのは個人の考えです。反論はしませんが、解りたくない、もしくは拒絶しているのかも知れません。
ですが私が強く思ったことは、『生まれてくる』ということは『己の命を持ってこの世に出ること』です。
生まれて直ぐ殺される運命にある坂東氏の子猫は、この世へ本当に『生まれてきた』のでしょうか?何故『生まれてきた』のでしょうか?
以前、いなくなった子猫を一生懸命探す母猫の姿を見かけたことがあります。呼ぶ声はまさに悲痛でした。
坂東氏の行動は文中で「生まれたばかりの子猫を殺す時、私は自分も殺している。それはつらくてたまらない」と書いておられます。ですがそれは、書き方や表現の仕方が違うと思う。母性に近い、大事な何かが欠落しているように思えて仕方ありません。
我が家のにゃんこ達も、写真のような生後1ヶ月の頃から見ていたので、このエッセーはうちの子がやられているような錯覚さえ覚えて、本当に辛いです…。