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ちろ
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虹の橋を渡ったちろの、思い出話・あれこれ
登録カテゴリ:日常の出来事
投稿日時:2010年04月21日 22時40分
・・・とか言って、 正直、歴史音痴&典型B型の私の解説、 しかも、超要約。。。 興味ない方は、スルーしてください。 う、うん、たぶん 間違いや、クレームがあったら、すぐ直します〜(超弱気・・・) 今のうちに謝ってしまえ(笑) ごめんなさい。 では気を取り直して・・・ 御柱祭の起源は定かではない。 初めて、文献に登場するのは、室町時代初期に書かれた「諏訪大明神画詞」(すわだいみょうじんえことば)と呼ばれる記録で、 平安初期、桓武天皇(781〜806)の時代に、 蝦夷の征討の際、最後の切り札として征夷大将軍として任命された、坂上田村麻呂が、 遠征の折、 東国随一の武神、諏訪大社の祭神・健御名方命に必勝祈願をしたところ、その霊験にて、無事に蝦夷討伐を果たし、 その霊験に感謝した、桓武天皇の勅令により、 御柱祭は、信濃の国の国祭として、寅・申の干支の年に、諏訪大社の造営を命ぜられた・・・。 と、書かれている。 しかし、 土着の信仰における御柱祭りは すでに 縄文の頃の遺跡から、円形の柱列跡や、人型の埴輪と共に、柱状の祭事品と思われる物が発見されている。 つまり、古事記や日本書紀などに書かれている、 皇祖神を頂点とする、国家神道よりも、 起源はもっと古いものと推測されている。 原始の社会では、自然こそが神であり、 巨岩や巨木は、 それ自体が、神と人とを結ぶ、依代であり、 神の声を聞ける神長が 人々の代表者であった。 本来の自然を神とした土地神は、 天皇の祖である、国家神道の流れに飲み込まれ、 アマテラスを絶対者として土地神が従属する姿に描かれる場合が多いが、 諏訪の地においては、 古来よりの荒ぶる神々と、新しい神が融合し、新たな祭りとして発展したのではないのだろうか。 また、巨木信仰は、日本のみではなく 海外でも、インド、ミヤンマー、パプアニューギニア、タイなど、 様々な国で 御柱に類似した祭りが行われている。。。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ かなり 要約したために、かえって判りにくいかもしれません。 すみません。。。 りゅうくん、寝たいなら、遠慮せず寝るがいいさ・・・。 しおんは、黒キャラで定着かしら?!
コメント(8) |
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