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BOO
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ア〜ンドほんのり見える母ちゃん
ぶぅ母には ○○(食べ物)を見ると誰々を思い出す って いうことがとても多い あまりに多いので いちおう2つだけ ぶぅ母の父親は我が家では《ビスケットのじっちゃん》 と呼ばれていました 3人の息子が小さかった頃、実家に行くたびに 毎回・毎回、炭焼きビスケットを3箱も4箱もお土産に 持たせてくれたので… きっかけは たった一度、初めてそのビスケットを 食べたとき「これおいしいね〜」と言った それだけです すぐ近くに居ながら、あまり実家に行くことのない 親不孝娘 お正月、お中元・お歳暮にちょっぴり小遣いをつけて 届ける以外は、いったい何回行ったのかしら? そんな状態なので、行くと母もアレコレと お土産を持たせてくれました 母ちゃんはありがたい(^人^) そういうやり取りを横目で見てきた父 母が亡くなった翌年に初めての子が生まれ、 その子が離乳食を食べ始め、 実家に行った時、父の用意したビスケットを食べて ほっぺをなでて「ンマ・ウマ チー(おいしい)」 私が「これおいしいね〜」って言ってると父に伝えたら きっと母にかわって自分が何かお土産を… と 考えていたんでしょうね、父なりに そこに「これおいしいね〜」だったので 父ちゃんも 「やりっ!コレだ!」だったんでしょう なんと、それから10数年、亡くなるまで、 ずっとビスケットのじっちゃんでした (ビスケットしか、ではなく畳屋に届けられた 山ほどのお中元・お歳暮も分けてもらいましたよ) でもぶぅ母にとっては、 そら豆出ると思い出す 父ちゃん なのです そら豆が八百屋さんに出回ると 毎日でも食べたがったお父ちゃん 今年もそら豆見るたびに お父ちゃん食べたいだろうなぁと思ったよ お母ちゃんは「これが大好物」ってなくて… コレを見ると母ちゃ〜んというものがありません でも… お母ちゃんという存在は別物 雨が降れば… 風が吹けば… カンカン照りでも… 日々の暮らしで母との思い出はあるから とくに 《コレを見ると母ちゃん》ではなく いまだに母ちゃんは体のすみに居て かくれんぼしてます 55歳で亡くなった兄ちゃんは10月はじめに 亡くなったんですが、9月末まで葛まんじゅうだけは 食べられました 7月・8月と入院している時に病院食があまり食べられず 一度水ようかんと葛まんじゅうを持っていったら 葛まんじゅうがとても気に入ったようで 1週間に一度は「アレ買ってきて」と言われ 毎週買った葛まんじゅう 8月末に退院して9月丸1ヶ月畳屋の仕事を 必死でやる中、体力・食欲がまったくなく 消えそうな命をつないだのが やはり葛まんじゅうでした 10月亡くなる前に最後の葛まんじゅうを 意識もなく病院のベッドに横たわる兄に 持っていきたいと、いつも買う、実家近くのお店に 買いに行ったら 「葛まんじゅうは9月いっぱいで終わりなんですよ」と 言われ 途方にくれた 葛まんじゅう また葛まんじゅうの季節です ねっ 兄ちゃん
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