菜々ちゃん | 福のMY ROOM - ペットストリート

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小判を背負った福猫ちゃん
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戸籍

  • ■猫種: その他
  • ■誕生日: 2009年07月04日
  • ■性別: 女の子
  • ■ニックネーム: ぷくりん
  • ■好きなこと: とにかく走り回ること ひとりクルクル

■福の家族





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クロ♂・ジュニ♀・ちっち♀の三つ子と、その血を引くきゅーちゃん♀。
若手で他猫の福♀とムー♀の女の子優勢、ハーレム6にゃん家族です。

菜々ちゃん

登録カテゴリ:日常の出来事 投稿日時:2013年10月08日 14時55分




今日は 菜々ちゃんの命日です。

23年 10月8日 菜々ちゃんは実に安らかにお空に旅立ちました。


病気の原因は不明で、白血球が増えずに、半年以上、日曜日も欠かさずに

抗生剤投与でもたせてきました。

それでも 10月1日からは一口も食べられなくなったので、通院をやめました。




菜々ちゃんの好きだった 籠。


千真ちゃんが逝ってしまいましたが、私は一貫して、大和ママさんには

辛くて冷たいと思われるようなコメントを入れてきました。

でも、それはずっと菜々のことを思い出しながら書いていました。


動物・・・特に猫は 自分が一番楽に旅発てる術を知っていると思うからです。

菜々は、自分の口から食べられなくなって 3日間は自ら水を飲み、3日間は水も飲まずに

静かに静かに体を横たえて その時を待ちながら、1週間後に息を引き取りました。

その間、見るに忍びず、耐えられず 何度病院へ飛び込もうかという衝動に駆られたか

しれません。

でも、これが一番菜々ちゃんが楽な道なんだと信じ、自分に言い聞かせ、耐えました。

千真ちゃんの写真を見て、すでにその域に入っていると思ったから

この苦しい時間を 大和ママさんに 強要するのはほんとうにほんとうに辛かったですが

千真ちゃんのためを思って、心を鬼にしてコメントを入れました。

「もう、なにもしてはダメ」・・・と。

私が猫を 好きで好きで大好きなのは、何度も見送った中で その最期の潔さに

何度も感銘を受けたからです。

私も最期には『こうありたい』といつも教えられるのです。




母の日 菜々ちゃんへの感謝のカーネーション。


菜々は本当に可愛かった・・・プライドが高く、神経質なくせに お茶目で 愛くるしくて。

こんな団体ではなく、一人でご寵愛を受けて、生活したかったと思います。

でも、今 感謝しています。

可愛い、ジュニや、クロちんや、ちっちぽん、 孫のきゅーちゃんに あなたの面影を

見つけます。子孫を残してくれてありがとう。

あなたに似て お風呂場が好きですよ。




ちっちと きゅーちゃんと三色団子の 菜々。


菜々は最期の1週間、その時を待っている時も 大好きなお風呂場の蓋の上でした。

誰にも干渉されず 光も少なく 音もなく・・・そういう静寂の場所に身を置きたいのだと理解し

ときどき覗きに行きながら 一人にしてあげました。




とにかく可愛い、寝顔ハート ラブリー菜々ちゃん


獣医さんは「私は命を助けるのが仕事です」と言いました。

まだ、手段があるのなら お金に糸目も付けずに助けたいと思うのが親心です。

でも、菜々には助けたい一心で、少し「いじくりすぎた」という後悔を持っています。


こういう経験をしました。

実家の 茶々はもう瀕死の時に点滴を受けました。たぶん栄養剤と水分補給

だったのでしょう。

実家に行ったら、箱に入ってストーブの前に置いてあるのです。

私は父に「ダメじゃない、温めちゃ!」と声を荒げました。

どう見てももう死んでしまっているとしか思えませんでした。

まったく微動だにしないのです。

慌てて私が 箱を脇によけた瞬間、ピクッっと動きました。

「あら、生きてる」 また ストーブの前に戻しました。

「脈も触れないのですが、生きているか死んでいるかわかりません」

と獣医さんに飛び込んで聞いてみました。そうしたら連れてきてください、と言うのです。

連れて行って強心剤など打たれたら、ますますこの時間が長引くだけです。

それでは可哀想すぎます。

茶々は弟が帰るのを待って、大きく息をひとつ吐いて、そこで初めて昇天しました。

死ねない苦しさを目の前で見てしまったので、あれは残酷なだけだと思いました。

最期まで助けて、どうにかして、と獣医さんに頼るのは私には疑問です。

自らの口で水も飲めず 食べ物も口に出来なくなったら、飼い主の最後の責任として

腰を据え覚悟を決め その耐えがたい時間を一緒に過ごし、静かに静かに

とにかく静かに・・・その時が来るのを一緒に耐えること、これが感謝をもって見送る

最期の愛情だと信じています。

これからも私は出来る限り 自然の思し召しに任せようと決めています。

人事を尽くして天命を待つ・・・だと思います。





以上は あくまでも 私的な意見です。いろいろなケースがあるとおもいます。

現に、ハチは去年の暮れに痩せ劣り、まったく食べられなくなりました。

「もう何もしてあげられない」と、泣いてお別れまでしました。

しかし年が明けて、4日。獣医さんが開いたとき、まだお水を飲む力がありました。

まだ間に合うかもしれないひらめき 諦め8割の気分で飛び込みました。

今あるのは ただただハチの驚異の生命力のお陰だったと思います。



いろいろな亡くなり方があると思うけど、今は私にとって、菜々には出来る限りであったと

気持ちを昇華させるしかありません。


15歳7カ月  菜々ちゃん ありがとう。

ハチ君は17歳を どうにか生き延びましたよ。

ほぼ同時にお家に来た弟君のハチを 菜々お姉ちゃんが助けてくれたんだよね。

これからも 菜々の子供達3にゃんと 孫のきゅーちゃんを守ってね。


それに、跡継ぎの 福もね。










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