私の故郷、「岩手県」。
今回の3月11日におきた『東日本大震災』で、岩手県も大変大きな被害をうけました…。
あの日、私は会社で仕事をしていました。
地震の後、会社の2FでTVをつけ、宮城県で津波がどんどん陸地にせまり、川は逆流し、
火がついた家をそのままさらっていく様子を見て、本当に現実でおきているのか、
わけがわからない思いでした。
しかし、広範囲で海辺の町が、どんどん津波で破壊されていく映像は、
本当にショックでした…。
それからすぐ、親戚に連絡をするも電話はつながらず…。
母の出身地「釜石市」には、母の兄弟(私のおじ・おば)、私のいとこ、その子供たち、
たくさんの親戚が住んでいます。
自宅はみんな海から離れているものの、時間的にみんな仕事や学校にいる時間帯。
何度かけても、誰にかけても、連絡はとれず…。
その日は、父の実家がある「遠野市」や、内陸地方にいる友達たちとは、
携帯のメールで連絡がとれたものの、釜石の親戚たちとは1日たっても、2日たっても、
誰一人連絡はとれませんでした。
各地の被害状況がTVで映し出される中、地震後の津波が押し寄せている釜石の映像は
映るものの、その後の釜石の状況はなかなか映りませんでした。
インターネットや携帯で、色々情報収集をするもなかなか安否は確認できず、
ようやく映し出された映像には、津波で流された消防車が2、3台。
いとこが消防士のため、不安はつのるばかり。
3日目の14日、東京にいるいとこから「みんな無事」と連絡が取れ、
とりあえずホッとしました。
次の日には、母の兄から連絡があり、「みんな無事だから」と。
しかし、「もう、何もなくなった… 釜石はおしまいだ… 」と、言っていたそうです・・・。
その後、父方の親戚にも津波による被害で、避難所生活をしている方や、
遠い親戚には亡くなった方もいました…。
いとこが親戚を訪ねて沿岸地方に行ったところ、「本当に悲惨で言葉が出ない」 、
私の「思い出の場所もなくなった」とメールで知らせてくれました…。
それから、ここで知り合ったママさん・ワンちゃんが、被災したことを知り、
とてもショックでした…。
あれから1ヶ月が過ぎましたが、毎日毎日、ネットや新聞やニュースを見ては、
泣いてばかり…。 私が泣いてもしょうがないのに…。
現地の状況は、思っている以上に大変らしいです。
私も自分の目で見たわけではないので、本当の大変さは想像以上だと思います。
自分が出来る支援を…。