明日は福助の命日でして
申し訳ないなあ
と思いつつも
セナの弟分として許してくだされ
猫話しなのでスルーOKですのでー(笑)
二年前の 朝方
あたしだけの彦星になりました
六月の始め
抱っこしたときに
なんか 熱いなあと感じ
病院に行きました
熱は微熱程度で
お腹に虫がついたかなーと 検便をし
いるいる〜と 虫下しを
数日して再検査
しかし減っていない
二週間飲ませても一向に減ることはなく
血液検査をしてみました
たまたま休みだった旦那と福助と他の飼い主さんとで談笑してるところに
先生が
福助
急性骨髄性白血病を発症してるよ
とのこと
頭は真っ白で
笑ってた顔は戻せず涙だけが感情とは別に落ちた
やっぱり
お玉取ったら外出は止めさせるべきだった
どんなに泣き叫んでも諦めさせるべきだった
と 頭の中でグルグル後悔が回っていた
2001年11月3日
福助は旦那が我が家に連れてきた
2ヶ月くらいの小さな身体で
お尻には出ないで固まった
石みたいなウンピが肛門を塞いでいた
今日は祝日
病院はお休み
こんな日に連れてきても
まして こんな子をが本音だった
ゴメンネ
旦那曰わく
連れてこなけりゃ虫がわいて死んでしまう
オイデーって言ったらすぐきたから連れてきた
なんとかなるだろーっと いつもの無責任な言葉
確かにその通りだ
とにかく その石ころみたいなのどうにかしなきゃ
浣腸にベビーオイルハサミ 耳かき
歯石を取るような器具にあと 役に立ちそうなのを用意して
旦那が抱き
あたしは砕石係り
どうにか出口付近は取り除き
浣腸〜
だが 入らない
明日まで待とう
となり
翌日病院へ
先生のお見立て
一種の奇形児
ヤッパリカ
尻尾が生まれてくるときに形成されず尻尾の元が肛門周辺の筋肉や神経になんらかの影響を与えている
成長しきるまで待って 手術するしかないだろう
ただ 脊髄に影響してるようなら下半身不随は免れないかも
でした
それからは2〜3日おきの病院での浣腸
最初は嫌がり
叫び
ヒッカキ暴れまくり先生も悪戦苦闘
何度かお腹の腸の押し方や
便の移動のさせ方を習い
その後は旦那と喧嘩しながらの浣腸でした
しだいに
福助もスッキリするのがわかり
『う〜〜んってしてごらん』に
『なぁご〜〜〜ん』と 唸って
あたしはお腹を押しながらブリブリブリ〜(笑)と 出せるようになりました
4月のある日 病院に行くキャリーバッグの中で
泣き叫んでた福助
ぬぁ〜んと 自力で出しだのでした
行きたくない一心で叫びながらの脱糞だったのかなー
臭いやら
嬉しいやら
ウンコまみれの福助が愛しかった
それからは 時間はかかりながらも自力排便になり手術もクリアーしたわけです
ビタミンの含有が高い薬が効いたのかなー
目をこするなあー
と気になり病院にいくと角膜に傷が付いて目薬さしてみたりこれは放置してたら失明だったそうな
ほかは病気らしいのはない元気な子でした
でも 下半身不随なら
失明してたなら
まだ生きてたかもね
白血病の発症がわかってからは いろんな薬を試しました
インターフェロンが最後の薬だったかなー
食事を取らなかったのが辛かった
流動食やワンコの初乳を粉末カプセルにしたものや いろんな物を与えたが
何一つ これはってのがなく
子猫のミルクが命をつないだ
亡くなる三日前
自ら起き出し
あれだけ食べなかった朱理のカニカマを食べ出した
奇跡だと喜ぶ反面
まさか…がよぎった
暗がりと涼しいところで寝たがる福助
そのころはあたしらのベッドの下がお気に入りだった
私は布団を下ろし
見える場所で寝ていた
明け方四時半
『ニャー』の声に飛び起きた
福助を引っ張り出し
クールボードに寝かせ そばにいた
寝息はしだいとゆっくりになり
心音も数が減っていく
発症したら救いようがないと言われていたので
病院には連絡はしなかった
手を握り
声をかけ
撫でることが精一杯
時間は五時半
虹の橋に旅立ちました
かくれんぼしたり
あたしのバッグや髪用のゴムで遊んだり
タワーが大好きだったり
お茶目で臆病で
大飯ぐらいで
甘えん坊で
人の言葉がよくわかる子でした
待ってろよー
また逢おうね〜
長々とすみませんでした
記憶が薄れないうちに残しておきたかったんです
明日は天の川みれるかなー
だいたい 長崎は八月が一番よく見えるんだよね(笑)
満天の星空に
君を探すかなー