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ドッグストリート : ブログ
チャッカリなつの毎日♪
なつ
いつもチャッカリと、なんでもしてしまうなつ! 2007年10月16日『多中心型リンパ腫』と診断され 約1年間抗がん治療を続けてきましたが 2008年10月29日午後7時15分ごろ 私達夫婦の腕の中でお花畑に旅立ちました。 闘病中は、応援してくれて励ましてくれて、そして見守ってくださり ありがとうございましたo( _ _ )o
老人と犬
[06/09 16:21]
私がまだ、ピッチピチのムッチムチのキャピキャピの(←しつこい?(^m^*))
ギャルだった頃、勤めていた運送会社でのことです。
そこのある従業員さんのところに、待望の赤ちゃんが授かりました。
赤ちゃんが出来たことで、わんこと一緒に暮らすことが出来なくなったと
そのお家で暮らしていたわんこ、マルチーズ♂のレオは
会社のトラックの車庫の住犬となったのです。
レオは躾のきちっ入っていた子で、ノーリードでも
呼び戻しの聞くわんこでした。
飼い主さんはもちろん、他の従業員も交代でお散歩に連れ出していました。
そして私もレオを時折、お散歩に連れ出していました。
当時の私には、ノーリードの怖さやわんこ飼いのなんたるかを
まったく知らない無知でした。
その日もレオをノーリードで連れ出し
不注意から交通事故に遭わせて
しまったのです。
血だらけのレオを抱えて走ったことは、今でも忘れることが出来ません。
レオはその事故で、右後ろ足人間で言うと足首から下を失いました。
この事故をキッカケに、レオは私の元で暮らすことになりました。
その時、レオは3歳でした。
この画像は事故後1ヶ月程の時のものです。
これはレオの「お座り!」です。
まだ右後ろ足は、赤くなっていますが
レオの回復力は素晴らしく、毛が生えてくる頃には
ん?少し足が短い?くらいにしかわからなくなりました。
私が結婚する時も、レオは一緒にお嫁入りし
アホ娘の良いおにいちゃんでもありました。
アホ娘が寝ている隙に
「レオ、買い物行ってくるからお願いね」
そう言うと、アホ娘の枕元でくるりと丸くなり
超特急で買い物を済ませ、家に戻り「ありがとう」と言うまで
レオはアホ娘の側を離れないお兄ちゃんでした。
その後、諸事情もあり実家と私のところを行ったり来たりしましたが
母が亡くなり、弟が結婚をして実家に父一人となってから
レオは父と二人で生活するようになりました。
15歳を過ぎて、睾丸がんとなりましたが
手術は断念せざる終えません。
その後失明をしましたが、父がリードを持っていれば歩いていました。
父とレオのツーショットは、ご近所で有名だったようです。
「老人と犬」の絆は、とても深くなっていきました。
レオの思い出は、話すと長くなるので省略しますが
1999年4月13日早朝、お花畑に旅立ちました。
8月で19歳になる年でした。
その後、父は我が家の近所に引越しをしてきて
毎朝毎夕私と一緒に、エリー&なつのお散歩に出ています。
現在の「老人と犬」はこちら
なかなかお似合いのツーショットだと、お散歩仲間さんには評判です。
レオのことは、今でも私の心の片隅にしっかりを刻まれているのです。
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