ドッグストリート
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チョコ
ドジコギ チョコのちょこっとした日記
震災から15年
[01/17 00:29]
今回もチョコ記事からは外れます・・・
「え?オレの話題ちゃうん?」
「うん、今日はな・・・ って、あんたそれ、一応アイロン台なんですけど・・・(; ̄ー ̄A
アイロンついてないからって、犬用マットちゃうで!!」
それは、置いてといて・・・
ついさっきまでテレビで「神戸新聞の7日間」という震災のドラマを観ていました。
そうです、15年前の今日、阪神淡路大震災があったんです。
15年経った今、当時を私も少し振り返ってみたいと思います。
といっても、私は実際に震災で被害にあったわけではありません・・・
当時の私は京都の自宅で地震にあいました。
まだ真っ暗な中、大きな揺れで目を覚ました私は部屋のタンスの上に置いてあった、重たい木製の裁縫箱が落ちてきて驚きました。
数ヶ月前まで裁縫箱が落ちた場所は、私の枕元だったので、ベッドの位置を替えていなければ、怪我していたわ〜と冷や汗ものでした。
階下からは、ガラスの割れる音。
急いで下りてみると、食器棚からグラスが数個落ちて割れていました。
あまりの揺れに驚いて、一人暮らしの友達が心配になり、電話をかけてみましたが、何事も無かった様子。
当時の京都は震度5強。
負傷者はほとんど居られず、怪我された方も軽症でしたが、京都の西部のマンションではピアノが壁にめり込んだとか。
我が家も西部の方でしたので、揺れは強いほうだったようです。
まだ暗く、夜も明けていなかったので、ラジオを聴きながら出勤までの時間、ウトウトし、再び起きてテレビをつけたとたん、私はショックを受けました。
神戸がひどい状況にあったからです。
そして、大阪に勤めていた私はその日、出勤する術を失い、自宅待機となったのです。
その後、余震が何度もあり、ミシミシと音を立てる家にドキドキしていましたっけ
翌日、復旧した阪急電車で大阪の会社へ出勤すると、建物には全く変化はないのですが、ビルの9階にあった社内はひどいものでした。
あらぬところへあらぬものが・・・!
当時私が座って仕事をしていたところには天井まである巨大な可動式書庫が倒れ掛かっており、仕事をしていた時だったら・・・・と背筋が寒くなったものです。
大阪の会社ですから、神戸から通勤しておられた方も何人かおられました。
幸い職場の方にひどい怪我の方は居られなかったのですが、被災されているので、自宅はむちゃくちゃになった方も居られました。
次の日から、その方への支援物資として、出勤時には京都で調達した食料やカセットガスなど、たくさんの重い荷物を持っての出勤となりました。
数日、要るものを聞き、調達し会社へ届けました。
そして、そのころ同じ会社に勤めていたチョコパパは、被災された社員のお宅へ復旧のお手伝いに行きました。
陸路では神戸へ入れず、船で行っていました。
数日後、建設関係の会社だったので、倒壊した阪神高速の被害調査が始まり、チョコパパも何度か神戸へ調査へ出かけていました。
被災された社員の方は、生死を目の当たりにする毎日に、日が経ってからも精神的なショックが続いていたようです。
あの当時、会社から帰って震災の報道をテレビで見るたびに涙が止まらず、毎日毎日泣いて暮らしていた私でした。
15年経った今も、あの当時の映像が頭の中から離れず、思い出すたびに涙が出てしまいます。
ドラマを見ても涙が止まりませんでした。
被災していない私がこんななのに、被災された方のことを思うと・・・
あの震災から、揺れに敏感になった私。
なのに、地震に対する備えは十分ではありません
被災したら、チョコはどうするんだろうか???
避難所に犬は連れて行けませんよね。
みなさんは何か考えておられますか?
そんなことを考えながらも、平和に暮らせている今が幸せなのだと改めて思いました。
長々と書いてしまいました
今日書かないと!って思ったもので・・・・
読んでいただいた方、ありがとうございました
さすがにチョコさんも付き合っちゃぁいられないと先に寝ておりました