アメリカ大陸で生まれたオオカミが、縄張りを造り上げながら
アジア大陸へ進出してきたとき、遠くアフリカ大陸で生まれて
同じくアジア大陸へ進出してきた人間と東アジアの地で衝突した。
今から約数万年前のことである。
狩猟・採集民族であった人間も、オオカミと同様に、縄張りを持っていただろう。
ここで事件が起こった。縄張りと縄張りの衝突である。
こんなとき、
オオカミの群れ ( パック ) から出た若いはぐれオオカミ達はどうなったか?
人間の縄張りは怖い! なにしろ槍や弓矢など恐ろしい武器を持っている。
かといって、他のオオカミの縄張りはもっと怖い。規則で統制されているから ・・・・
縄張りに侵入すれば、へたをすれば殺される!!
想像するに、彼ら、はぐれオオカミ達は縄張りを造ることができず、
縄張りと縄張りの境界を放浪するしかなかったのではないだろうか?
食性も変化しただろう。集団で狩をすることができなくなったため、大型草食獣を
捕らえることができなくなった彼らは、肉食中心の生活をあきらめ雑食へと変化した。
また縄張りを持たない放浪生活のなかで、縄張り意識は薄れていっただろう。
代わって大きくなったのが、仲間を求める群れ意識だったのでは?
はぐれオオカミ同士が出会ったとき、殺し合いはなんのメリットもない。
相手の表情やしぐさから敵か味方かを判断する能力 ・・・共感能力 ・・・
そして、それに基づいて感情を表現する能力が高まったと考えられる。
挨拶行動などのコミュニケーションもこの群れ意識から生まれただろう。
こうして、はぐれオオカミ達は、付かず離れずのゆるやかな群れを
創り上げたのではないだろうか? ・・・・これが 犬 になった。
これが、私が考える 「 犬の起源 」 である。
「 人間が、 オオカミを家畜化したのが犬である 」 という説があるが
私には納得ができない。そう簡単にオオカミが家畜化できるわけがない。
無理やり家畜化しても彼らは野生に戻るだろう。
オーストラリアのディンゴやニューギニア・シンギング・ドッグのように ・・・・。
オオカミが犬に進化したがゆえに、人と犬の共生が始まったと考える。
犬の豊かな共感能力、すなわち群れ意識が人との共生を可能にしたのだ。
そして、人と犬は互いに助け合いながら世界中に拡散していった。
今から約1万5000年前のことである。
ディンゴ
ニューギニア・シンギング・ドッグ
犬の挨拶行動、遊び、他の犬との意思疎通 ・・・・・
これらは、犬の豊かな群れ意識 ( 共感能力 ) の表れではないだろうか?
「 犬の起源 」 について私の想いのかぎりを書いてみました。
さらに、人間の共感能力や群れ意識を高めてくれたのは ・・・・・
実は、犬だったのではないか? ・・・・・ とも考えています。
オオカミが 父性 の象徴なら 犬は 母性 の象徴です。
オオカミを絶滅させない、そして、犬ともっと協力しあえるような
・・・・・ そんな人間社会であってほしいと願っています。