ドッグストリート
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ソラ
共に生きるために
環世界 ( Umwelt )
[12/03 14:40]
「環世界」とは、ドイツの動物学者 ユクスキュル(1934) によって提唱された
概念である。” 動物たちは、それぞれ異なった独自の知覚世界を構築し、その中で生きている ” と述べ、それぞれの動物に特有な世界を「環世界」と定義した。
視覚・聴覚・嗅覚での感覚の強さを人間と犬で比べてみる。
人間では 視覚>聴覚>嗅覚で視覚優先の世界である。
対して犬では、嗅覚>聴覚>視覚 で嗅覚優先の世界を形成していると考えられる。
ソラを観ていても、視覚的にはよく間違える。 匂いが届かないところでは、
自転車に乗った女の人を見るとソラママと思い、土木作業をしている作業服姿の男性
を私と間違える。
あぜ道で ・・・・
散歩の途中、稲刈りが終った田んぼの端に、一束の稲穂が刈り残されていて
ソラがその場所から動こうとしなかった。
ソラの知覚世界を匂いを付けてイメージしてみた。
こんな感じ? よほど好い匂いがしていたのか?
公園で ・・・・
日頃、近所のワンちゃん達と遊んでいる公園に来た。
ソラは、いつもそこで、友達のワンちゃんを待つ!!
その日は、ゆるやかな風が吹いていて、彼女は風上に鼻を向けて座った。
鼻をすこし高く揚げてクンクン ・・・・・。
私には、いつもと変わらぬ景色だったが、
ソラにとっては、こんなイメージだったのでは?
匂いが風に乗ってやってくる ・・・・。
シャボン玉のように、友達のワンちゃん達の匂いを表現してみた。
ソラの環世界と私の環世界は表面的には全く違う。
でもどうして、ソラと私は多少なりとも解りあえるのだろうか?
・・・・・それは、環世界が、その動物にとって意味のあるものを感じ取るために
知覚が選別されて構成された世界だから。
ソラと私がお互いの存在の意味を認め合うとき、私はソラの環世界の中に、
ソラは私の環世界の中に住むことができる。
意味を基に創り上げられた世界だからこそ、解りあえる。
わたしたちが環世界で生きているからこそ、解りあえるのだ。
ただ、私がソラの環世界の中で、どのように標識されているのかはわからない。
特殊な匂いと音と比較的単純な形で、私が描かれているのではないだろうか?
帰り道、小腹が減ったので、ポケットに手を入れて飴を取り出そうとした。
すると、先を歩いていたソラが急に振り返って、私に飛びついてきた。
飴の入っているポケットを真剣な眼差しでじっと見つめている。
飴の包み紙のカサカサという音が聞こえたのか?
私には聞こえなかったのに ・・・・。
あめもってるでしょう! わかるのよ〜〜!!
ソラ、君は音もよく聞こえるんだね〜〜、食べ物の音は特に・・・・!!