キャットアベニュー
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杉村太郎
[09/07 17:12]
横浜の聖光学院高等学校在学中より、慶應義塾高等学校に在学していた森賢司らと、Kani Band、Lady Bird、Taro Bandのボーカリスト・ギタリストとして、横浜などのライブハウスで活動。慶大時代は、世界的な経済学者でありながら起業家でもあった森敬教授に師事し、大きな影響を受けた。
大学卒業後、住友商事に入社。在職中に後の東京プリン伊藤洋介とシャインズを結成、シャインズの芸能活動に影響が出始めた為、1989年に大東京火災海上保険(現あいおいニッセイ同和損害保険)に転職(経営企画および人事部門に配属)。同社在職中に芸能活動本格化し「サラリーマンが歌う、サラリーマンの応援歌」をコンセプトに同年、ポニーキャニオンよりメジャーデビュー。『私の彼はサラリーマン』『私は課長』『上司は選べない』などのヒットを飛ばした。また、KBS京都ラジオ『はいぱぁナイト』3代目パーソナリティーを半年間務めた。
1992年に独立、?ジャパンビジネスラボおよび我究館を設立する。我究館設立以降は、アーティストとしての活動は公では行っていない。
2001年には語学スクールであるプレゼンスを東京、表参道に設立(運営母体は同じジャパンビジネスラボ)した。コーチングによる指導で、短期間でのTOEIC・TOEFLの高得点獲得、短期間での英会話習得、およびケネディスクールをはじめとする米国・欧州の一流の公共政策大学院(MPP/MPA)、ビジネススクール(MBA)やロースクール(LLM)へのエッセイ指導による合格をサポートしている。
プレゼンスは、年間1500人の社会人・学生が受講、ハーバードケネディスクール、ハーバードロースクール、スタンフォードやオックスフォードの大学院に毎年合格者を輩出している。この方面での著書には『TOEIC 900点・TOEFL 100点への王道』『ハーバードケネディスクールでは、何をどう教えているか』(共著)などがある。
2011年8月20日、原発不明癌のため死去。47歳没[1]。